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2015年2月11日 (水)

ゆゆ式で公式が「ふみおか」を出す危険性について

今月のまんがタイムきららが発売される日に
原作者の三上小又先生がTwitterで
以下のようなツイートをされていました。

https://twitter.com/mikamikomata/status/564443478638084098

私はきららを購入する前に
このツイートを目にしていたのですが、
いつもどおりの何も変わらない
ゆずこ、唯、縁の日常会話劇が好きなので、
「いつもとちょっと違う感じ」
という点がどうにも引っ掛かり、
読む時に不安を感じずにはいられなかったです。

そしてその不安が的中する形となってしまったので、
今回は通常の感想とは別に
不安が的中してしまった箇所について
個別に記事を書くことにしました。

まずは三上先生がどこに対して
「いつもとちょっと違う」ようにしたのか、
これに関してはいくつか候補があります。

まず一つ目は最初の四コマで
ゆずこが「へー知らなかった」と返すことを
前提に進められた会話劇。

ゆずこのボケからではなく
唯ちゃんの問いかけからスタートするこのやりとりは、
いつもと違う点において最も良い方向で
ゆゆ式の新たな境地を感じました。

二つ目はふみが情報処理部の部室に来るところが
初めて描かれていたことです。

ただ、これは千穂や佳が
すでに何度も部室に訪れていることから
いずれふみも来るだろうなって予見できたことですし、
「いつもとちょっと違う」というよりは
「いつもよりちょっと進んだ」という解釈の方が妥当でしょう。

そして最後の三つ目、
これが私にとっては「ちょっと」どころか
「かなり」いつものゆゆ式と違って見えました。

それは縁ちゃんの「ふみおか」発言から
その直後にふみが佳に思いっきり抱きついた一コマです。

このシーンの前に縁ちゃんが
委員会に出席したクラス委員長の千穂に対して、
「お疲れ」「いいんちょ」の意図を込めて
「おつかれんちょ」という造語を作って
部室に迎え入れています。

続いて千穂よりも少し前に部室に訪れてから
一旦トイレに行っていた佳には
「岡やん」「おかえり」「おかおか」
さらにはふみに「ふみ」「おかえり」
「ふみおか」という発言に至ります。

ここまでは1つの事柄から
言葉がどんどん紡ぎ出されていく
ゆゆ式らしさを感じられるため、
「ふみおか」という単語にも
いつものように自然発生したものだと
受け止めることが出来ました。

しかしながらこの直後にふみが佳に抱きついたことで、
明らかに「ふみ×おか」という意味合いでの
「ふみおか」にしていたのが、
いつものように読者を全く意識してないかのような
キャラクター達の自然な会話劇が
繰り広げられている作りではなく、
読者の目線を意識して
キャラクターを動かしているように見えました。

商業誌である以上、
読者を意識した作品作りをするのは当然ではありますが、
ゆゆ式はあえてそれをやらなくても
読者が付いていきたくなるような
キャラクター達のありのままの
自然な会話劇が最大の魅力である作品です。

したがって今回のように
まるで公式がふみおかを公認するかのような
読者の目を意識した会話劇が散見されるようになれば、
ゆゆ式が独自に持つ自然な会話劇の魅力が薄れ、
他の作品とそれほど区別が付かないような
有象無象の代物に成り下がってしまうのではないか
という危険性を感じました。

また、たとえ三上先生ご自身が
読者を意識して描いていなかったとしても、
私のような読者が彼女たちの会話劇に
何らかの不自然さを感じた時点で、
ゆゆ式が衰えたという捉え方になっていたと思います。

それから何度も同じようなことを書きますが、
ゆゆ式はゆずこ、唯、縁の三人が
繰り広げる自然な会話劇が魅力の作品であり、
昨今のブームの一つになっている
「百合」という側面で見ると、
そこを強調した作風ではないため、
一組として出来上がっていると確約できる
カップリングは存在しません。

そのため、ゆゆ式の二次創作界隈では
様々なカップリング妄想を作れる畑となっており、
その中でもとりわけ本編における出番が少ない
佳とふみ、いわゆるふみおかのカップリングが
現状では最も熱を持っている状態です。

しかしながら、公式の方から
ふみおかを公認するような描写を提示することで、
佳とふみの「お相手」
二次創作においても限定されがちになりますし、
二次創作に勤しむ人々は大抵が
「本編で不足しているものを自分で補完する」タイプなので、
公式でまざまざとふみおかを見せつけられたら、
「あ、作者が描くならもう自分はふみおか描かなくていいや」
と、投げ出すような人も出てくるのではないかと思うのです。

とまあここまでは
いろいろと否定的な目線で語ってみましたが、
今回の件は昨今のふみおかブーム、
特に昨年の冬コミでふみおかの合同誌が配布される
という情報を三上先生ご自身が目にした事で、
それに対する感謝の気持ちを込めて
今回限定でふみおかファンのために
サービスしてあげたんだろうなっていう解釈でいます。

三上先生のおっしゃっていた
「今回はいつもとちょっと違う」
「今回だけ」であることを切に願うばかりです。

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コメント

>「百合」という側面で見ると、そこを強調した作風ではない
とありますが、ゆゆ式の百合は、今では腐女子に見られるような「明記されていないカップリング妄想」的な百合ではなく、かなり原作として明示されてあるものですよね? 多少譲って好意のアピールと言ってもいいですが、それにしたって今までのゆゆ式と何か違うでしょうか?

結局、たけにーさんが引っかかったのは、「ふみおか」という単語への対応がメタに見えたんじゃないでしょうか? 僕もその点はちょっとだけ引っかかりました。しかし、ストレートな反応を返してこない感じ、何が出るか分からなさ、そういう雰囲気を踏まえてそれもふみちゃんらしいといえばらしいのではないでしょうか?(結構出番が少ないので読みにくいのですが)

ゆゆ式は今までにもちょっと以上「違う」ことはありました。僕の感じた場合なんつってつっちゃったがアニメになると結構過激に見えたり、正月の三人組にならなくてなんとなくリズムが合わなかったり、アニメの最後に成長感を出すような演出がされた時のように。しかし、そう極端なものはなかったと思います。ずるい言い方になりますが、今回のふみおかも含めて、どこまでいってもゆゆ式はゆゆ式としか言えないでしょう。まして、「ふみおかファンのためのサービス」なんて考え方はもう全然ゆゆ式と関係ないのではないのでしょうか? 実際、ふみおかファンの活動が激しくて嬉しい→お返ししよう、なんて、考える作者ではないでしょうし、かなり的外れだと思います。もっと純粋にゆゆ式を見るべきだと思いますが。

「いつもとちょっと違う感じ」っていうのは、僕は全員集合のことだと思います。
もっと言うなら、来年度末に終わる予定のゆゆ式を見越したノルマ的な六人集合だから、三上先生には特にそういう風に感じるんじゃないでしょうか? という風に思いました。
もう最後のは妄想なんですけどね。

投稿: | 2015年2月14日 (土) 23時55分

 たけにーさん

 はじめまして。
 ゆゆ式最新話(以下最新話)に対するツイッター上の反応を追っている内に、貴ブログに辿りつきました。
 アニメ放映が終わって二年が経とうかという作品に対していまだにこのような高い熱量を持っている方がいることをゆゆ信の端くれとして誇らしく思います。


 今回の最新話については私もたけにーさんと同様、ゆゆ式という作品の来し方行く末を考える上で重要であると思っています。ゆゆ式の持つ個性が失われてしまうことへの懸念自体も、非常に共感できます。
 ただし、私の見解はたけにーさんが本記事やツイッター上で示したものとは異なります。一人のゆゆ信として、今回の内容には危惧ではなくむしろ期待を抱きました。
 無論それは、今までマイナーであったふみおかが今回を弾みに主役級に躍り出るのが期待される、といった単なるカップリングの好みの問題ではありません。ゆゆ式という作品全体を見通してのものです。


 今回は私が最新話を読み、そしてたけにーさんの本記事などに触れて思い至ったことをコメントしたいと思います。
 たけにーさんは公式が「ふみおか」を出す危険性として、それが「読者の目を意識した会話劇」であり、「キャラクター達のありのままの自然な会話劇」というゆゆ式の個性から逸脱したものであること、そして原作でふみおかが公認されたとみなされることで二次創作者に影響を与えてしまうこと――この二つがあると指摘しているように見受けました。
 そして三上先生のツイートを「今回限定でふみおかファンのためにサービス」したことを示唆するものだと解釈されています。
 それを受けての私のコメントは、①たけにーさんが表明された危険性の一点目について、②最新話の何が「いつもとちょっと違う」のか、大きく分けてこの二点になります。


 漫画原作とその二次創作との関わりに関しては、たった一つの作品によって語ることのできる範疇を明らかに越えていますので、コメントは差し控えておきます。
 なお、私は同人活動はもとより、twitter等もしていません。後者について証明は不可能ですが、以下のコメントは自分なりに誠実に考えた上で得た知見だと自負しています。多少なりともそのことをたけにーさんが感じ取られ、それをもって信用してくださることを願っています。

投稿: ふぁふん | 2015年2月16日 (月) 15時48分

 ①「読者の目を意識しない会話劇」は成り立つのか


 私はまずたけにーさんがゆゆ式の魅力として、それが「キャラクター達のありのままの自然な会話劇」であり「読者の目を意識した会話劇」ではないと評していることに違和感を感じました。というのも、そもそもそういった漫画が本当に存在しうるのでしょうか。
 

 どのような漫画であれそこには原作者という一個人が必ず存在します(幸いゆゆ式の原作者は一人で、また大掛かりな分業体制も必要ありません)。
 その個人が生み出した架空のキャラクター達が織りなす漫画には、当然その人の感性が反映されてくるはずです。ゆゆ式は言うまでもなく三上先生の独特の感性に支えられています。
 そして僕らがゆゆ式を面白いと思えるためには、それを面白いと思って描いた三上先生の感性を受け入れることが必要です。
 

 よって読者は、その感性を受け入れられる者とそうではない者に必ず分かれます。ゆゆ信としての僕らは後者の存在を忘れがちですが、三上先生の感性を面白いと感じない人は確実に一定数存在します。
 そして彼らから、ゆゆ式で例えば下ネタなどが飛び交うのはそれを面白いと感じる原作者が登場人物に言わせている(つまりゆずこたちは読者の目線を意識して行動している)からだと言われた場合、反論の余地はないように思います。
 「読者を意識してこういう行動をさせているんだなぁ」と感じるかどうかの境界線は、一人一人の読者によって様々であるということです。


 無論私は、三上先生がゆゆ式の登場人物の特徴を「演者とかじゃなく普通の子」(マンガルカvol. 1.1)、「この子たちはお芝居してない」(ゆゆ式BD一巻ブックレット)と表現したこと自体に違和感を表明しているわけではありません。
 ゆゆ式の個性を捉える上では、彼女たちの言動に読者の目線を意識した要素があるかどうかに着目するよりも、彼女たちが常に目の前の相手とのコミュニケーションを念頭に置いていて、あたかもそこに一つの人格が存在しているかのような強い実存性を有していることにこそ着目すべきではないでしょうか。
 (ネットでみかける「脳が三つある作品」という表現は言い得て妙であると思います)


 最新話の理解をめぐっては賛否両論あるようですが、ツイッター上で散見される「ふみちゃんはもともとそういう子だった」という意見に私も賛成します。
 長谷川ふみという女の子の行動として自然であると感じられるかどうかをやはり問題にすべきだと思います。


 そもそもゆゆ式は連載中の漫画です。情報処理部についてはパーソナリティが確立しているように思いますが、それ以外の人物、特にふみちゃんについてはそれが今後徐々に定まっていくはずです。今はまさにその生成段階にあると捉えてはどうでしょうか。
 ゆゆ式はアニメ放映を契機に注目が集まって種々の考察や論評が行われてきていますが、それすらもあくまで過去のゆゆ式について語ったものに過ぎません。僕ら一人一人の読者が自らの抱いてきたイメージに固執して、今後の連載の中で徐々にあいちゃんたち三人がパーソナリティを確立させていくその「成長」を悪しきものかのように捉えてしまっては、三上先生の一人の漫画家としての創作活動の意義を正しく理解できなくなるのではないかと思います。
 

 三上先生が描かれたものをまず虚心に、なるべく先入観を排して受け止めようとする姿勢こそが大事だと思います(言うは易し、行うは難しですが)。

投稿: ふぁふん | 2015年2月16日 (月) 15時52分

 ②. 最新話の特徴について: 新たなコミュニケーションの登場


 以上を踏まえて、ここからは最新話と三上先生のツイートに対する私の理解を述べたいと思います。念のためツイートの全文を記しますと、「きらら3月号届いてた 今回は自分の中ではいつもとちょっと違う感じです」です。
(ツイッター上の発言には責任を求められこそすれ、厳密さまでは求められないでしょうから、これをもとにした私の理解も所詮は一つの感想に過ぎません)


 きらら3月号に掲載された最新話の作中時間は2月であると考えられますが、そこでの特徴としてまずひとつ指摘できるのは、ふみちゃんと情報処理部(特にゆずこ)との距離が確実に縮まっていることを示す描写が散見されることです。

 9本目の4コマでは、ふみちゃんは部室内の三人(恐らく主な対象はゆずこ)を驚かそうとし、そして実際にゆずこが驚いた後に部室に入ってきます。これは、ゆずこが実は怖がりだということをふみちゃんが既に知っているからこそ取った行動ではないかと考えられ、二人が徐々に親密になっていることを示唆していると思います。

 10本目は、おかちーが部室にいないのを知ってふみちゃんがトイレにまで追いかけに行くという内容ですが、ここでもふみちゃんとゆずこの距離の縮まり具体がよく表れていると感じました。「大丈夫?いなくて」というゆずこの問いかけは、心から心配しているというよりは二人の関係をやんわり茶化しているように見受けられます。しかしそれは、そういったアプローチを相手が許容してくれるはずだという推測のもとでの発言でしょう。9本目でふみちゃんがとった好意的なコミュニケーションに応答するかのように、ゆずこもふみちゃんに対し親しい間柄に相応のコミュニケーションをとっているのです。

 11本目は、ふみちゃんがトイレに何しに行ったのかを三人が語り合う場面から始まっており、そこでは「ふみちゃんはおかちーで遊びに行った」(おかちーはやって来たふみちゃんに遊ばれる)と、二人の関係が適切に表現されています。一方、3巻p. 66(作中時間は6月)ではゆずこがふみちゃんに「(おかちーと)仲良いよねーっ」と語りかけるシーンがあります。両者を比較すると、二人の関係に対する情報処理部の理解は6月時点では「単なる仲良し二人組」に過ぎなかったのが、約半年を経てより具体的なものに変化していることが読み取れます。

  ふみちゃんが部室に来ること自体、三人との仲が縮まっていることの表れですが、それ以外にも以上のような描写をその証左として挙げることができます。三上先生が最新話においてふみちゃんと情報処理部の接近を表現していることは間違いありません。

 問題の13本目の4コマを考察する上でも、それがそうした描写がいくつも積み重ねられた上で展開されている点は重要でしょう。

 
 勿論、それだけではたけにーさんが本記事で指摘したように、ふみちゃんと三人の関係が「ちょっと進んだ」と言った方が適切です。
 私が最新話を理解する上で最も重要だと、そしてこれまでのゆゆ式と質的に異なると感じたのは、ふみちゃんとおかちーの間の親密なやり取りが情報処理部とのコミュニケーションの中で展開されている点です。それは基本的には二人の間でのやり取りでありながら、同時にゆずこたちにも向けて行われています。部室でのやり取りであることはそれを象徴しているでしょう。
 

 過去のふみちゃんとおかちーの描写(いわゆる「ふみおか」的描写)を辿って指摘できるのは、これまでの二人のやり取りがあくまで二人だけの間、ないしあいちゃんという元々仲のいい友人を加えた三人の間で行われていたことです。そしてその中でふみちゃんはおかちーをおちょくったりわざと嫌がるようなことをしたりして、おかちーから嫌がられるのを楽しんでいました。

 その二人が作中で二年生になると情報処理部と会話を交わしたりする場面が次第に増えていきますが、その多くは個別に三人とコミュニケーションをとっています。そうではない場合についても、4巻p. 111の五人のやり取りは、どちらかと言えばふみちゃんは一緒になっておかちーイジりに参加しているといった方が適切でしょうし、6巻p. 85のやり取りも、ふみちゃんの行動は他の四人全員に向けてとったものだと解すべきでしょう(そしてこの二つはいずれも教室が舞台です)。

 ふみおかに着目してきた人たちがこれまで二人の関係を理解する上で拠り所としてきた描写は、実は情報処理部とは隔絶した場所でのものでした。
(同じことはあいちゃんとおかちーの関係についても言えます。二人の間の親密なやり取りというのは、実は情報処理部とのコミュニケーションの中ではこれまで一度も行われていないのです)


 これに対して最新話の13本目は、縁ちゃんから「ふみおかはふみおちゃんおかえり?」と聞かれたふみちゃんが、相手が嫌がることを前提におかちーに後ろから抱きつくという積極的なおかちーへのアプローチが部室の中で行われています。

 この4コマを読み解く上でまず重要なのは、前述したようにふみちゃんと情報処理部の仲が縮まっていることです。これまで二人っきりの時やあいちゃんの前でしかしてこなかったおかちーへの「嫌がらせ」が三人の前で行われるためには、三人との距離が縮まっていることをふみちゃん自身が認識している必要があります。

 加えて、3コマ目でのふみちゃんへの振りが縁ちゃんからであったことも少なからぬ意味を持つと考えられます。ふみちゃんはその後、明らかにカップリング的な意味合いとしての「ふみおか」を念頭に置いて抱きついていますが、それは縁ちゃんにそういう意図がなかったからこそできたことだと思います。これがゆずこからの振りであったなら、ふみちゃんはゆずこがふみおかにもう一つの意味を含ませていることを察知して、恐らくこういう行動に出なかったでしょう。ふみちゃんの天邪鬼な性格がよく表れているとともに、ふみちゃんが情報処理部とのコミュニケーションを盛り上げようとしていることが分かります。

 そして、ふみちゃんがおかちーに抱きつくというこれまでの二人の関係の延長線上でありながら、より積極的な行動をとったことも、情報処理部の部室の中であったことが大きく作用していると思います。二人きりの時には決してしないようなことを何故三人の前でしたのか。そのあたりのふみちゃんの感情の機微はゆずこと似通っているのではないかと考えられます。ゆずことふみちゃんがどこか似た者どうしであることはこれまでのゆゆ式でも度々示されてきましたが、ふみちゃんにも、2巻p. 71のゆずこの「三人の時は冗談だけど二人っきりだとマジっぽくてアレだな…」に似た発想があるのではないでしょうか。


 二年生となったゆずこたち情報処理部は、作中時間の経過とともに徐々にあいちゃんたち三人組と仲良くなっていきます。しかしこれまでの描写では、あいちゃんたちの中の誰かが三人と個別にコミュニケーションをとる場合が多くみられ、またふみちゃんとおかちーのコミュニケーションはあくまであいちゃんたちのグループの中で閉じて行われてきました。
 しかしこの最新話では、ふみちゃんと情報処理部の関係が親しくなってきていることが念入りに示され、その上で情報処理部とのコミュニケーションの中でふみちゃんがおかちーにいつもと同じようにちょっかいをかけているのです。
 

 つまりこの最新話の特徴とは、ゆゆ式という作品のメインであった情報処理部のコミュニケーションの中に、あいちゃんたち三人組がそれぞれ個別に加わるのではなく、あいちゃんたちの中でこれまで行われてきたコミュニケーション自体がその場に応じる形で加わっていることにあるのではないでしょうか。
 管見の限り、これはゆゆ式ではじめて行われたことのように思えます。そしてこれはふみちゃんと三人の仲がより進んだ、との表現で矮小化するべきではなく、ここに至って情報処理部とあいちゃんグループとのコミュニケーションがより深化した、と理解すべきだと思います。
 私が冒頭で、最新話を読んで期待を抱いたと述べたのは、ゆゆ式の個性を損なわないように新たな可能性を模索する三上先生の取り組みが非常に意欲的だと感じられたからです。
 

 よって、三上先生の言う「いつもとちょっと違う感じ」というのは、私はこのような新たなコミュニケーションがゆゆ式に登場したことを指しているのではないかと考えます。

投稿: ふぁふん | 2015年2月16日 (月) 16時01分

>>名無しさん
「百合」の定義については人によってそれぞれ違うため、
ゆゆ式という作品内において百合描写があるかないか
という解釈も人に変わってくるとは思うのですが、
私の目から見るとこれまでの原作で描かれてきたふみおかのやり取りは
気の置けない友達としてのスキンシップ程度の認識でいました。

もちろん原作のそういったやり取りから百合妄想を捗らせて
二次創作で表現される方のお考えも十分承知はしていますけどもね。

ただ、今回は「ふみおか」という単語を出して
その直後にふみが佳に抱きつくという描写を加えることで、
三上先生も明らかに「ふみ×おか」という
カップリングを意識されているのではないかと思って、
違和感を持たずにはいられなかったのです。

なぜこうしたのかという理由については、
三上先生ご自身がTwitterで今も続いているアニメ実況のことをご存知であり、
それに対する感謝(と戸惑い?)の気持ちを表すツイートもされているので、
ファンの気持ちに作品内でお応えしたい想いもあるのではないか?
と思って推察したまでです。

投稿: take23 | 2015年2月21日 (土) 06時00分

>>ふぁふんさん

>①「読者の目を意識しない会話劇」は成り立つのか

三上先生も人である以上、
読者に対する意識がゼロなわけではないと思いますが、
たいがいはゆずこ、唯、縁の3人が
笑って楽しんでいればそれでいいって
雰囲気の会話劇が繰り広げられているので、
読者をネタで直接楽しませようというよりは
作中の彼女たちを楽しませることで
その延長線上で読者も楽しんでもらえたら
それでいいといった意図を私は感じております。

したがって今回の縁の「ふみおか」発言からの
ふみが佳に後ろから抱擁したシーンは、
ふみの取った行動そのものは
ふみが起こしうる行動の範疇だとは思うのですが、
三上先生ご自身が「ふみおか」というのはこうであると
読者に向けて明示してるようにも見られたので、
いつものようなキャラクターを動かすことで
読者を喜ばせるのではなく、
読者を喜ばせるためにキャラクターを動かしたように
受け取ってしまったのです。

>②. 最新話の特徴について: 新たなコミュニケーションの登場

実のところ「いつもとちょっと違う」点については
本文中に3つほど挙げてはおりますが、
この中に正解はないだろうなって思っていました。

が、それでも自分なりの考察と言いますか、
読んで思ったことを伝えないことには
今月の話を読んで抱いた違和感は
払拭できないと思ったので、
今回の記事を書くに至ったわけです。

幸いにも私の違和感からいくつもの議論が起こって
これまであまり見えてこなかった
他の読者が抱いている「ゆゆ式の認識」
というのが浮かび上がってきて、
中でも今回いただいたふぁふんさんのコメントが
「いつもとちょっと違う」点においては
非常に納得のいく説明だと思いました。

一ブログのコメントではなく
一つの記事にしていただいて、
私以外のもっと多くのゆゆ式ファンの方々にも
目を通していただきたいぐらいです。

とてもご丁寧なコメントありがとうございました。

投稿: take23 | 2015年2月21日 (土) 08時08分

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